大多数の入れ替え可能な存在。

自分の人生を生きると決めたならば、大多数の入れ替え可能な存在の群れに飲み込まれない様に立ち回る必要がある。

ここでいう入れ替え可能とはこれは、人間そのものがそもそも歯車の一つとして代替可能という意味ではなくて、もっと人間の中の中にある信念の事だ。

「こうでなくてはならない」「かくあるべきだ」などという言葉には一切の耳を傾けず、自分の信念にのみ拘束され、自分の意思でその足を踏み出す必要がある。

自分の決めた生き方と心中する覚悟を持って、道を選ぶ必要がある。

「金持ちと貧乏人」「支配者と被支配者」「主人と奴隷」「指揮する権力者と前進して死んでいく社畜」

中途半端に賢い連中は前者に媚びて生き、食うに困らないが何かが満たされずその隙間を金で快楽を買って満たす。

僕はそんな連中と自分を殺しながら中途半端に関わって生きるくらいなら、ひとりぼっちで自分と会話をし、「僕なりの思想」を発展させたい。

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