「対外的な責任を殺している人」の作られ方。

すれ違う人間のほとんどが「自分という根拠を殺している」若しくは「対外的な責任を殺している」。

まず前提として、日本には、自分という根拠を殺している罪という罪は存在しないし、対外的な責任を殺している罪という罪は存在しない。

よってどちらを殺したって罪ではないし、個人の自由である。

今回は、対外的な責任を殺している人達について。

例えば、みんな生まれながらに「自分という根拠」を持って生まれてくるとする。

そして一部の人間を除いて殆どの人間が「自分という根拠を殺している」若しくは「対外的な責任を殺している」のどちらかの自分を選ぶ事になってしまう。

対外的な責任を殺している人達の輪郭の外側は「夢」「理想」「妄想」「空想」「自己中心」で塗り固められてその輪郭の内側に「対外的な責任」は放り込まれついには干からびてしまう。

「対外的な責任」が干からびた場所には「意固地」が芽吹いて大きく育っていく。

箱の中に入れて育った「意固地」はその箱の中で生きる事しか知らない。

その特徴としては「枠に囚われたくない」等と口ばしりながらその枠がいったい何だったのかすらわからなくなってしまっている状態にある場合が多い。

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