尖り続ける事と引き換えに居場所は無くなっていく。

どうせ成功や失敗などは同じ物差しでは計れない。

「諦める事」は死ぬほど向き合い続けた人にだけ許されるべき道である。

どの様な人生になるにしても最後に正解や不正解を決めるのは、やはり自分自身なのだ。

自分の人生の答え合わせは自分にしかできない。

どの状況でも自分に戦力外通告を出せるのはやはり自分しかいない。

僕みたいに拗らせてしまって、この考えが尖りに尖ってしまうと自分の周りにいた人間達が理解が出来ないと言って去っていってしまう。

つまりこの考え方は、少し危ない。

少なからず、今の僕を含めて世の中の「夢追い人」の大半は支えてくれる家族や恋人や友達があって成り立っている。

僕もコレは忘れない様にしようと思っている、しかし。

それも、もし邪魔だと判断したならば僕は容赦無く切り捨てる覚悟も同時に持っている。

まあそれを実行する事は到底起こり得ないのだけれど。。。

しかし孤独はそれはそれで構わない、孤独になってしまった反射的効果として自分に投下する時間が増えるだけの事だ。

これだけ拗れているんだ、まだまだ俺は突拍子もない所までいけるはずだ。

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