月並みな言葉だが、命は儚い。

結局トラは死んだ。

昨日の文章を書いた後、僕はトラが死ぬまで側にいた。

トラが死ねたのは朝の3時過ぎだ。

あの後、

痛い痛いと言う鳴き声がだんだん弱くなり、やがて呼吸だけになってしまった。

呼吸の間隔がだんだん遅くなっていって、息が吸えなくなっていった。

小刻みな痙攣に変わって口が開いて舌がしまえなくなった。

最後は鼻と口からたくさん水が流れてトラの意識は無くなった。

死ぬまでに6時間はかかった。

それまでトラは苦しみながら死に抗い続けていたけれど、医者の言った通りやっぱりダメだった。

くだらない考えが回り出す、あの時僕は安楽死させるべきだったのか?

僕は結局のところ死んでしまうトラを6時間無駄に苦しめた事になるんだろうか?

もう考えたって仕方がない。

僕がそれを決めたんだ、後悔なんかするものか。

トラは一人っ子の僕にとっては結局のところ弟みたいなもんだったのかもしれない。

それに

両親の意識がトラへ向かう事で一人っ子である僕がギター片手に夢だ何だとフラフラしている事への両親の意識が少しでも弱くなっていたのは事実だ、その意味ではいつもトラには感謝していた。

僕は朝になると庭にトラを埋める穴を掘った、1mくらい掘ったんじゃないかな。

日中は近所の人たちやそのペットたちが死んだトラに会いに来てくれた。

夕方に僕はトラを穴に放り込んで土をかぶせた。

昨日の昼ごはんを食べている時、足元にまとわりついてきて鬱陶しいなあと思いながら足であやしていたトラはもうカチカチに固まっていた。

当たり前にあるものは当たり前じゃないって事を、わかってはいたけれどもう一度しっかりと胸に刻んで息を吸おうと思った。

命は儚い、だからこそ美しい。

たくさんの思い出をありがとう。

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