表面的な豊かさは、資本家サイドの有利に働く。

昨日の話の続きになるのだが、

その日暮らしの計画性のない父親と

難関大学卒業という過去の栄光に縋ったまま何一つ努力をしないままに夢を見ていた計画性のない父親という2人に対して

僕の母親は割と堅実な性格なので、人生において「資産」と言うものを着々と構築していた。

20代の頃のフリーターの僕の一年の労働の賃金は、結局最後まで母親の資産収入の1年分を超えた事は無かった。

もう一度書く、20代の頃のフリーターの僕の一年の労働の賃金は、結局最後まで母親の資産収入の1年分を超えた事は無かったんだ。

僕があまり働いていなかったなんて事はない、一般的な普通の会社員くらいは収入はあった。ただそれよりも母親の資産収入の方がはるかに多かった。

それ程までに資産収入は強烈だし目先の快楽を我慢してでも積み上げる価値がある。

それに対して、

目先の快楽にお金を浪費し続けた挙句に「生活保護」に行き着いた父親と

身の丈に合わない他人からの美味い話に後先考えずに資金を注ぎ込み「自己破産」に行き着いた父親。

身近に両極端な存在を観察しながら歳を重ねた結果行き着いた考えとしては

やはりどこまでいってもこの国は資本主義だという事、どんなに嘆こうがどうせ変えられないのだから「持たざる者」よりも「持てる者」に陣取った方が良い。

と言う事だ。

その為には小さな事を一つずつ積み上げてでもとにかく「金」を作る必要がある。

表面的には豊かに見えた父親2人が哀れな末路を辿ったのに対し、表面的には何一つ華やかさの無かった母親が資産収入で働かずに死を迎えられる環境を構築しているのだ。

この国では

「表面的な豊かさは、資本家サイドの有利に働く。」

「表面的な豊かさは、資本家サイドの有利に働く。」

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