ミニマリストとは「手段」なのか「目的」なのか。
僕は所謂ミニマリストという部類に属する。
でも僕にとってのそれははっきりと「手段」であると言える。
今流行のミニマリストは、それが「目的」となっているケースをよく見かける。
僕は、生きていく上で大事なものや譲れないものをはっきりとさせる為に
どちらでも良いものを削ぎ落としていくという行程が好きなのだ。
僕は絶対に譲れないものを確かめる為にその他を排除していった結果としてミニマリストという外形をしているだけだ。
お金を持ち歩くのが好きではなくてキャッシュレスに偏っているし、天気がどちらつかずの場合は折り畳み傘を持ち歩くのが嫌だからもし雨が降った場合は濡れても良いと割り切って傘は持ち歩かない方を選ぶ事が多い。
本もほとんど電子書籍にまとめてしまっているが、それでも紙で読みたい本は紙で購入する。
そしてCDは全てと言って良いくらいに今だに現物を購入する。
例えスマホが進化してギターのようなものが開発されたとて、僕はギターは現物じゃないと嫌だろう。
例えば「宅地建物取引士」の資格。
この資格を取得する為に勉強をしたがその知識をいつまでも頭に入れておくのは僕には荷物だと思ったので試験の日にはテキスト類は全て捨ててから試験会場へ行った。
今、手元に宅建士証はあるが、試験内容はもうあまり深くは思い出せないと思う。
そして今年取得する「行政書士」の資格。
これもおそらく時が経つ程に僕にとってはたいしたものでは無くなるのだろう。
生意気なことを言っているようだがこれが僕の本音だ。
ただ、どんな事があってもギターの弾き方は忘れない自信があるし、自分の自慢の曲は一生口ずさむ事が出来る自信がある。
僕は、音楽に一途である為にミニマリストという手段を選んでいるだけなのだろうと思う。
僕は僕の人生をロックに捧げる。
手段の一つとしてミニマリストを使う。
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