僕の場合は「金持ち父さん貧乏父さん」ではなく「自己破産父さん生活保護父さん」
僕からすると多くの人は周りから「幸福だと思われる為」に四苦八苦している。
「どう思われたいか」の為に自分の身の丈以上のパフォーマンスをして借金をし、それを社会的信用だとかなんとかっていう言葉で正当化して生きている人が多い。
「どう思われたいか」に重きを置くより「どうありたいか」が大切なのにさ。
所謂、見栄ってやつだ。
今の僕はこれがわからないし理解したくない。
僕は家庭環境的な事で父がたくさんいるのだが(このお話はまたいつか気が向いたら書くよ)
ちなみに言っておくが僕は自分の置かれた境遇については何も恨んだりはしていないし、今ではこんなに色々な事を考えさせてくれたたくさんの父親達には感謝している。
あまり今は関わりたくはないし会うたびに面倒だから今現在の父親(最終的な父親)以外の父親達とは距離は置かせてもらってるけどね。
で、今は関わってない2人の父親達についてだが、
今では一人は自己破産していて一人は生活保護を受けている。
自己破産した父はそうなる前、いつもBMWに乗ってきてはタバコを吸いながら自分の高学歴の話をしていた。まあ当時の未成年の僕の頭からしたら彼は頭がよく見えた。
生活保護を受けている父はそうなる前、いつもベンツに乗ってきてはタバコを吸いながらいろんな所に連れて行ってくれた。当時の未成年の僕はスキーやプールに連れて行ってくれるので楽しかった。
結局僕はまだ未成年だったのであまりよくわからなかったし、今の父親と違ってその二人は色んなものを買ってくれたので会うのはそんなに嫌いじゃなかった。
だが、今の僕から思い返すと二人ともとても思慮が浅い。
いや、一般的にはそれが普通なのかもしれないが。
わりと身近な存在である2人の父親の行き着いた先が
それぞれ「生活保護」と「自己破産」というのは
今の僕の思考回路の土台を作るには十分な環境だったのかもしれない。
「自己破産父さん生活保護父さん」
僕はこの2人の父親を見て育ったおかげでお金の管理が途轍もなく上手になった。
僕は彼らを決して助けたりはしないが、心の中で感謝はしている。
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