枠から外れても「自分」で居られるか否か。

今回も変な角度から斬り込むぜ。

名刺がカバンを持って靴を履いて歩き回れば「社会人」だ

すれ違う人間のほとんどは、「社会人」という人間を被って生活している。

その社会人の皮をひっくり返せば何がある?

殆どの場合「何もない」。

例えば受け取った名刺を机に並べてみよう。

「会社名」「役職」「資格」「肩書」「住所」「電話番号」

また、人によってはぎっしりとわけのわからない様な肩書を書き連ねている人もいる。

、、、うーん、、頑張って武装した姿。

みんなして「会社」という隠蓑の内側から、さも自分自身の力で生きているかの様な気分で世界を覗き込んでいる。

会社の名刺を差し出し「顕名」した時点で個人名義では無いはずなのにも関わらずだ。

これは試しにと、一人引っ張り出してひっくり返してみたとする。

大抵の場合ひっくり返せば何もない。

裏はまるで「空白」というのはまるで名刺の様だ。

つまりは、みんなみんなみ〜んな 名刺 だ。

名刺がカバンを持って歩き回っている。

その名刺は社会人という皮を脱いだら「無」だ。

「無」=「空白」だ。

家の中で「空白」がテレビを見ながら晩酌している。

家の中で「空白」が我が物顔で講釈している。

例えが悪いが、

猿は「木」から落ちても猿だ。

「肩書」の外れたお前はいったいなんだ??

ずらずらと書き連ねた肩書を取っ払ったお前はいったいナニモノだ?

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